ロンドンで起きた暴動が、ひとまず沈静化しつつあるようです。
かつての大英帝国、イギリスの首都ロンドンで起きた大規模な暴動に、
驚かされた人は多かったのではないでしょうか。
日本の首都、東京で、という事態は、なかなか想像しにくいと思います。
東京で1万数千人もの警官が出動して、数百人の逮捕者や死傷者までが
でてしまう暴動が勃発する…。
小説でしかありえないようなことかもしれませんが、
ロンドン暴動の背景にあるイギリス社会の実情をみれば、
日本も決して無縁ではありえません。
貧富の格差が広がり固定化する中で、「俺たちには、仕事も金もない。」
といった若年層が、特別なイデオロギーや政治的主張が共通してあるわけでも
なく、インターネット上の情報を共有しながら、ある意味自然発生的に
集まり、暴動を起こす。
自由競争経済と情報インターネット社会の弊害が噴出した、
典型的な事件だと思います。
アメリカの経済のこともそうですが、今回のロンドン暴動をみても、
これまでの世界秩序を牽引してきた欧米の土台で深刻な危機が進展
しつつあることは、もはや誰の目にも明らかです。
どうやって、新しい時代のVISIONを提示し、秩序を構築していくのか。
九月の日韓VISION同盟まで、そういったテーマも随時
考えていってみようと思います。
九電のやらせメール問題が紛糾しています。
九電上層部が事前に把握していながら容認していたことも判明し、
これから先もしばらく事態は混迷するでしょう。
ところでこの問題、発覚したからよかったものの、
やらせメールがばれずにそのまま放映されていたら、
一体「世論」はどうなっていたのでしょうか。
もし、原発再開の賛成を求める声が「世論」の大勢だ、という報道が
繰り返されたとしたら、私たちはやはりその方向性で納得してしまうでしょうか。
そして、少しうがってみるならば、このように意図的に誘導され、
作られる「世論」は、今回のケースに限ったことではないと思います。
ある代議士にいわせれば、国が関係する記者クラブなどでは、
これに類似したことは別段めずらしいことでもなく、日常茶飯事だといいます。
実際、今回の九電をめぐる報道を横目に、すねに傷もつ身ながらも
そしらぬ顔をしている人々は多くいるのではないでしょうか。
そのようにして作られる、「世論」なるもの。
それは果たして、誰のための利益になるものなのでしょう。
私自身、実際に一度選挙戦というものを戦ってみて、
「世論」がいかに意図的に作られたご都合主義的なものであるのか、
身を以て体験しました。
東電の原発問題にからんでの、御用学者、御用メディアに対する
不信の声も、あちらこちらで散見します。
一部の権力者のためではない、草の根からの社会の再興が必要だと、
改めて考えさせられた出来事でした。
ある国会議員の話を聞いたときに、なるほどと強く思ったことがあります。
建設的な議論ができない国会議員が多すぎる事。
なぜそうなのかというと、自分と異質な意見に対して、
それを敵対するもののように攻撃する体質があるからだそうです。
そのひとつの理由として語られていたのは、弁護士あがりの
議員がたくさん増えているからだと。
私はこの説明、妙に納得してしまいました。
黒か白かの判決を勝ち取る事で思考方式が
習慣化してしまっていれば、議論をする際、勝つか負けるかに終止する
ような論理展開が繰り広げられるのは当然でしょう。
その姿勢で議論を挑まれた方は、いきおい、自分自身の受け答えや
論理展開も、それに引きずられざるを得ないと思います。
法曹界の事情としては、それはそれでひとまず置いておくとしても、
非常に多くの要素や立場が混沌として関係し合う政治判断の場において、
その姿勢は果たして望ましいものなのでしょうか。
多様な意見や情報を総合的に判断して、ときに折衷案のように、
そして可能な限り発展的な方向性に、お互いの観点を収束させていくのが
政治家の力量でしょう。
ときには強固に貫ききらなければならない理念や政策はもちろんあると
思いますが、しかし年がら年中、自分と異なる意見を攻撃しあい、
ののしりあっていては、不毛というほかありません。
それは同時に、代議士としての職責と国民に対する使命に背くものでも
あるでしょう。
しかしふと思い返してみれば、日本のインテリ層の男性は、
発展的なディベートが上手ではありません。
自分の意見が否定されることで、あたかも自分そのものが否定されたかの
ように思い込んでやっきになるパターン、
さして重要でもない、小さなあげ足とりみたいな議論にはまりこむパターン、
自分が覚えた知識ベースの観点をお互い放言し合うだけで
論点が全くかみあわないパターンなど。
日本の教育全般の問題でもあるようです。
しかしながら、兎に角。
国民を代表し、国家を背負う国会議員の方々には、
もう少ししっかりしたコミュニケーション能力を
身につけていただきたいと、切に思いました。