フンドシとアセンション


昨日、生まれて初めてフンドシをはきました。

なぜ私がフンドシをはいたのか?

それはあまり気にする必要はありません。

フンドシをはくに先立ちまして、そもそもフンドシはどのようにはくものだろうかと
基本的な疑問が出たため、高度情報社会の住人らしく、インターネットで検索しました。

「フンドシ」と打ち込んで、いざ検索。

すると、驚くことに様々なフンドシ関連のページが!

中には、詳細に図解入りで説明入りしているものもありました。
フンドシにも形によって種類と名称が異なるものがあり、
私がはこうとしていたフンドシは「越中フンドシ」と分類されているものであることが
判明しました。

大学時代からの友人も一緒にフンドシをはくはめになったので、
とりあえずズボンの上から先に彼がフンドシをはいてみました。

すると、後ろ姿がどう見てもパンパースのようにしか見えないはき具合に!

果たしてこれであっているのだろうかと、しばらく二人で試行錯誤を重ねてみました。

どうやらこれでちゃんとフンドシのはき方にのっとった正しいものであるという結論になり、
ズボンの上からはくからパンパースになってしまっているのだ、という反省をしました。

はき心地もかつてない不思議な肌触りで、古来より日本人が慣れ親しんできた
肌着としての役割の偉大さを考えさせられました。

それにしても、フンドシは広げてみればただの布切れです。
使い終わって洗濯して干してしまえば、いったんもめんのように風になびいています。

フンドシにしても、あるいは風呂敷のようなものにしても、
日本の生活文化の中にある道具は、非常にシンプルで高機能です。

2次元平面のフンドシは、3次元の人体にジャストフィットする見事な次元の変化をとげます。
また、2次元平面の風呂敷も、3次元の多様な存在の形態に合わせて
自在に自らの形を変化させるスグレモノです。
用途をおえたら、あっというまに2次元に逆戻りして和服の袖にも収まってしまうくらい、
自在に次元の変化をとげます。

また、フンドシいっちょう、という姿は、何も隠しだてすることのない、まっさらなありのままの自分、
正々堂々として恥じることのない、誠心・素心を象徴しているものでもあるでしょう。
日本の国技である相撲のまわし姿も、それを表していると思います。

そして古来より、水行や滝行、禊を行う際にも、日本の男はフンドシひとつをしめて
自らの心の奥底と深く対話をしてきました。

現実社会の世間体や肩書などを一切捨てさって、
これ以上なくシンプルな本来の自分そのものに帰り、
そして、自らの心の原点、心の起源にまで深く立ち戻っていく、日本の伝統精神。

時代の大きな変革期の今、アセンション、次元上昇、という言葉をよく使いはしますが、
それらの言葉が示している人のあり方の変化は、実はものすごくシンプルなものであり、
同時に、日本の歴史の中に息づいている深い心と真っすぐにつながっているものです。

シンプルな姿で、次元を自在に行き来する、日本の心、フンドシ。

夏空の下、気持ち良さそうに風に泳いでいる真っ白なフンドシ一本を眺めながら、
世界の変化は、きっともっとシンプルなはずだと思った一日でした。
















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Comments Closed

“フンドシとアセンション” への0件のコメント

  1. kou より:

    始めまして(^^)

    いつも楽しく拝見させてもらってます。

    『フンドシとアセンション』というタイトルからして、

    かなり興味身心でしたが、またまた大爆笑の嵐でした♪

    ギャグセンス抜群ですね!

    しかも、フンドシから日本の奥深さ、シンプルさ、

    学問の世界とつなげて語っていて

    そして、アセンションにもつながるところがすごいですね!

    更新楽しみにしてま~す(^^)

    • autsumi より:

      kouさんコメントありがとうございます。

      その後、フンドシはタンスの中にひっそりと眠っています。

      いつかまた3次元に活用される日がくるかもしれません。

  2. 今子 より:

    それでも!
    やっぱり、なぜふんどしなのかが、
    気になります~

    • autsumi より:

      台風が若干それて通り過ぎました福岡です。

      午前中はすごい雨風でした。

      こんな日にフンドシ干したら、雲のかなたに吸い込まれていきそうですね。