観術 -侍の悟り-


昨日の続き。

「観術」は、最先端のイメージサイエンスとしての説明もできるのですが、
日本の和の心、侍の悟りという観点にも通じる、とても面白いものです。

分かりやすくするために、
ヨガや瞑想、座禅による悟りを、インドの悟り、としておきます。

侍の心身鍛錬の中でも精神統一や瞑想、黙想、座禅はもちろんあると思いますが、
それはいうなれば、禅宗の始祖・達磨大師の「面壁九年」に象徴されるように、
静的な世界で自己の本質・心の本質と向き合うものと言えるでしょう。

対して、侍の悟りの独特な特徴を例えてみるならば、
命と命を賭けた真剣での戦いのさなか、
その精神の究極の緊張状態の中で、身体から四方に発する鋭敏な気が
はるか彼方で落ちるひとしずくの水滴のかすかな音さえも
完全にとらえているような、五感の次元を超えた感覚の世界です。

日本では、

「場を読む」
「間を読む」
「空気を読む」

など、パッと見れば何も存在していない空間の中にも、
人の意識とつながって感じ取るべき何かがあるかのような感覚を象徴している
言葉がたくさんあります。

目や耳や皮膚で対象をとらえるのではなく、
五感覚を超えた感覚で、自分の周りの出来事を鋭敏に感じ取る世界です。

それは、侍が登場する映画やドラマで、壁の向こうや茂みの中の敵さえも
察知できてしまう感覚です。

真剣と真剣が交錯する命がけの勝負の時は、
相手の体や刀の動きを目でとらえた後で自分が動けば、負けてしまいます。

相手の体や刀が動く前、
相手の心が動くその瞬間の間の取り合いが、生死の境目になるのでしょう。

だからこそ、相手の心を、命がけで「観」なければなりません。
そのためには、頭であれこれ思考が巡っていては相手の心を感知できません。

思考に支配されず、思考が完全に止まって、相手の心の動きだけを、心で「観」ている状態。

それは、体の自分の範囲を超えて、空気も相手も、周りのすべても、
すべてが自分とひとつながりになっているような感覚の世界です。

究極にはりつめた心ひとつだけの世界で、全てをそのまま「観」ている世界。

それが、侍の悟りである「観」の世界です。

5次元認識の悟りの世界は、
心身を徹底的に鍛錬することで5感を超える侍の「観」の悟りとは異なるアプローチで、
論理とイメージで脳を理解・納得させながら
「イメージ感覚」を伝達する新しい悟りの道ですが、
心ひとつの世界から、心ですべての現象を「観」るという到達地点自体は全く同じものです。

それは同時に、すべてが一切分離なくひとつにつながっている大きな和の世界ですから、
日本の「和の心」が侍の悟りの世界に通じるものがある、というように表現しているのです。

そのイメージの世界に案内するかつてない教育コンテンツが、「観術」と言えます。

またおいおい、他の角度からも考えてみたいと思います。

今日も読んでいただいてありがとうございました。


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