聖徳太子の遺産

2010/07/31 オピニオン by autsumi

6月から、HITOTSU学講座で聖徳太子の十七条憲法を取り上げています。
全4回シリーズのうち、福岡では先日、第3回目を終了しました。

聖徳太子という人物をめぐる歴史学的な議論はひとまず脇に置いて、
1400年前に実在した人物として、そして十七条憲法を制定した人物として
まっすぐ捉えてみたときに、聖徳太子という一人の人間がその後の
日本の歴史に及ぼした影響の深さというものは、
知れば知るほど、考えれば考えるほど、
とてつもなく大きなものとして感じられてきます。

第一条、
「以和為貴(和を以て貴しと為し)」

から始まる、日本初の成文憲法。
1400年前の飛鳥時代に誕生した、日本という国の理想の「国のかたち」。

十七条全文の解説をひとつひとつ細かく書き記してみたいと思うほどに、
1400年前の激動の時代に日本の「国のかたち」を定めた皇族政治家が
その後の日本に残してくれた精神的遺産は、
深い深い精神の地下水脈として、
現代に至るも、日本の進むべき理想の道を照らしだしてくれています。

むしろ今の時代だからこそ、日本のみならず、世界にとって普遍的に
改めて共有されうる人間社会のあるべき姿を
示しているかのようでもあります。

日本仏教の祖とも呼ばれる聖徳太子が下したさまざまな政治的判断が
どれほど高度で勇気あるものだったのか、
当時の時代背景を鑑みながら思いを馳せると、
内政・外交の両面ともに、彼の政治家としての力量の高さは、
日本史上で傑出したものであるでしょう。

その中でも、十七条憲法の価値の深さは、
同時代の世界の法規範と比較しても、
あるいはその後の日本社会の法規範、道徳規範に及ぼした
影響力から見ても、本当に素晴らしいものです。

しかしながら。

政治家・聖徳太子の思案の結晶である十七条憲法の真価は、
その後の日本の歴史の中で、おそらく全くといっていいほどに充分汲み取り
切れずに来ているのではないかと思わざをえないのです。

その根拠のひとつは、
第一条のたったひとつの文字の解釈に隠れています。

それは、
「人皆黨(たむら)有り」

という字句の中の、

「黨」

の一字が持つ意味の深遠さにあります。

「黨」は、会意文字で「尚ホ黒シ」の意で、
仏教用語でいう人間の無明の心の闇のことを指している、という指摘です。

私は2年ほど前にある方の学習会の席でこのことを知り、
聖徳太子と十七条憲法に対する自分自身の印象や観方が
全く変わってしまいました。

よくよく改めて考えてみると、先述したように、
聖徳太子は日本仏教の祖と呼ばれる人物です。
仏教の真髄、悟りの世界を深く感得した人物であろうことは、
彼の事績を観る限り、間違いのないことだと思います。

昔京都の比叡山に行った時にも、日本仏教を形成してきた
名だたる人物群のはじめに、聖徳太子の肖像画がありました。

ちょっとイメージが飛躍するかもしれませんが、
もしも釈迦が、悟りの知恵をもって、現実社会の統治にも
応用可能な人の世のあり方を法規範で示そうとしたら、
一体どのような法律ができると思いますか?

聖徳太子の場合は、仏教だけでなくさらに、日本神道や儒教のエッセンスも
巧みに織りまぜながら十七条憲法をまとめあげています。

その中でも、まずなによりも高く掲げた
理想の国のかたち、あるべき人の世のあり方は、
仏教的な真理の世界、真如、一如の世界を象徴する、
すべてがひとつにつながった分離なき「和」の精神でした。

「和」の国の理想の弊害となる、人間の無明の分離分別意識である
「黨」の問題点と、そこを超えて目指すべき社会のあり方が、
十七条憲法の中で指し示されています。

「黨」から「和」へ。

これは、歴史の大きなパラダイムシフトを迎えている
現代世界の中心テーマそのものと直結しているのです。

だからこそ今、聖徳太子と十七条憲法の持つ意味を、深く省みて
これからの社会づくりに反映させるべきだと思います。

1400年前に生きた悟りの政治家・聖徳太子の遺産を輝かせることが
できる日本、そして世界になるように。


このテーマは、また改めて書いていきたいと思います。


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